戯曲「柏木町五丁目の住人たち」はレーゼドラマとして、つまり舞台で演じることをまったく念頭におかずに書きました。戯曲形式を取り入れた文章を散文として書いてみました。この題材ではより印象的に作品世界を展開できるのではなか、という仮設により試行してみました。出来栄えについてはまったく自信はありません。

                                   一矢

 

 

 

 

戯曲

レーゼドラマ

 柏木町五丁目の住人たち

               豊村一矢

 

一人芝居

 

■登場人物

 横島(タウン誌記者)

柏木町五丁目の住人たち

 観客1~8(声)

 

■時   二〇一二年頃の初夏

 

■場所  札幌市郊外、柏木町五丁目

 

 

 暗闇の中にやや軽妙な音楽―

右上奥のスクリーンに、くたびれた風景としての「街並み1」が映し出される―

中央上より一条の光。中年の男が浮かびあがる―

 

 

横島 (客席に、今落ち合ったように)

横島です、よろしく。ちっぽけなタウン誌の記者をやっとります。ここの住人でもありまして……。あなたは「輝くさっぽろ」を担当していらっしゃる広報課の方でしたな。取材に協力するようにと上司から頼まれまして……。あ、それは、もうご存知でしたか。これは失礼。

  えーっと、柏木町五丁目の住人たちを「輝くさっぽろ」の主題に沿って紹介するんでしたな。了解です。ぶらぶら歩きながらやりましょう。おや、野次馬かな、1,2、……5人もやってきた。そういえば今日の取材のことは回覧板で流れおりました。住人たちの関心も高そうで結構なことです。

 

 スクリーンに「街並み」2―

 

横島 ほら、あそこの、赤いトタン屋根。黒っぽい板張りの壁。あれがここいらで最初に建った家ですな。そのころの地名はただのカシワギで、だだっ広い原っぱの真ん中にぽつんとあの家が一軒、建ったんですわ。それが五十年でこんな団地になっちまったのだからねえ。

え? あの家に、今、だれが住んでいるかとお訊きになりましたか。噂じゃ、ご高齢の女性と引き籠りの息子が住んでいるということだが、定かじゃありません。ご近所づき合いが薄いご時勢なもので、あやふやな情報で申し訳ない。

さて、柏木町五丁目の住人たちの紹介ですな。といっても、どういう順で紹介すべきか、それが問題だ。あいうえお順、年齢順、住民となって古い順、番地ごとに片っ端からというのもありますな。こういうのは選考基準を客観的に説明できるからクレーム対策には都合はいいが、タウン誌の経験から言えば面白くもおかしくもない。記者魂が許さない。で、ぼくはですな、住人の認知度で選びたい。独断、偏見の謗りは覚悟の上です。

住人の認知度のトップは何と言っても、カラスの「黒べえ」親子でしょう。「黒べえ」とその妻「黒ひめ」、出来の悪い息子「黒すけ」の三羽家族。この家族にニックネームが付いたのはごく最近のことだけど、町内の認知度はダントツだろう。カラスの身分ではあるけれど、「隣は何をする人ぞ」の昨今、皆に知られているってことは凄いことなんですよ。

「黒べえ」親子は、嫌われ者だ。まず、鳴き声がうるさい。それから、ごみ袋を食いちぎって、残飯をまき散らす。つぎにドラ息子に危険が迫ったと誤解して近づく住人を攻撃する。一家が柏木町五丁目に定住したのは今年の春のことだった。四番地の鈴木さんの庭は、ほら、あそこ。

 

スクリーンに街並み3―

 

横島 大きなトド松が三本見えるでしょう。あの真ん中の高いやつの枝を新居にしたんだな。当然、住人は新居を撤去しろと鈴木さんに猛然と談判しましたよ。

 

 短い暗転

中央にスポットライト

 

住人1 子育て中のカラスは危険ですよ。子を守るために襲ってきます。通学中の子供が襲われたらパニックになりますよ。

鈴木(男) ご迷惑をおかけします。

住人2(女) すぐ、市役所に連絡をして駆除してもらってくださいな。

住人3 トド松ごと伐ってもらったらどうです? お宅のトド松、屋根の二倍もある老木ですよ。倒れそうです。よその家を壊したりしたら大事件ですぞ。

鈴木の妻 主人も私も、そう思っているんですが……それが、できないんです。母が許さないんです。

住人4 え! お母さん? あ、おばあちゃんね。おばあちゃんが……どうしてまた。

鈴木 亡くなった夫、つまり、ぼくの父ですが、ぼくが生れた記念に植えたものらしいのです。母は殺生をしたら罰(ばち)が当たると言って、それは頑固で……。

 

 短い暗転

 

横島 「黒べえ」が新居を構えて間もなく、住人に「黒すけ」の存在が明らかになりまして。「黒すけ」は親が甘やかしたのか、ハンデイをもって生れたのか、騒ぎは巣立ちの失敗から始まったのです。図体は親に遜色がないのに巣から地上に落下してしまったから大変。羽をバタバタやっても飛び上がれるのは、せいぜい一メートルちょっと。カラスには、だっこしたりおんぶしたりして運ぶ能力がない。巣に戻れなくなった子ガラスは、人間の庭から庭へ、草地を見つけては身を隠し親を呼ぶ。

 

暗転

 

黒すけ ガーァ、ガーァ、助けてよう。

黒べえ ギァ、ギァ、羽ばたけ、羽ばたけ。

黒すけ 出来ないよう。

黒ひめ クァ、クァ、がんばれ、がんばれ。

黒べえ ガァガァガァガァ! 人間が来る。

「黒すけ」を狙っているぞ!

(「黒べえ」、威嚇するようにガリガリ、ガガガ。電線や碍子をつつく)

黒べえ あっちに行け! つつくぞ!こうやってつつくぞ!

(「黒べえ」、人間の頭をかすめて飛ぶ)

黒ひめ クァ、クァ、がんばれ、がんばれ。

 

 短い暗転

 

横島(声) この騒ぎはちょっとした戦争だ。「黒すけ」は三日ほど地べたに身を隠していたらしいが、そのあと電柱や電線にいるのを見かけるようになった。ちょっとは成長したわけだ。だが、いかにもおっかなびっくりで、ちょっと風が吹こうものなら、よろけて落っこちそうだ。飛ぶのもぎこちなく、「黒ひめ」が五十メートルほど先にいっては、根気強く呼ぶが、「黒すけ」はなかなか飛ばない。

黒ひめ カァァ、カァァ、ここまでおいで。

黒すけ ガーァ、ガーァ、イヤだよう、怖いよう。

横島(声) 天下の公道だっていうのに、そこを通る住人は災難だ。「黒すけ」が、いつ落っこちるか心配なものだから、「黒べえ」も「黒ひめ」も奇声を発しながら、あっちへ行けと襲ってくるのだ。

しかも、「黒すけ」は餌を自分でとれないから、親がゴミ袋などを食いちぎって餌を漁っては口移しで与える。

確かに、涙ぐましい子育てだが、その鳴き声は七つの声色、加えて長短、高低の複雑な使い分けがあって、それが一日中聞こえるのを想像していただきたい。

住人たちは、三羽の声の区別がつくようになった。それどころか、鳴き声で意思を聞き分けられるようになった。ニックネームまで付いた。つまり、柏木町五丁目の住人として幅広く認知されたわけですなあ。

夜明け。町内がやっと明るくなりかけたころ……。

 

 短い暗転

 

黒すけ ガーァ、ガーァ、腹へったあ、何か食べたいよう。

黒ひめ クーァ、クーァ、今、持ってきてあげるからねえ。

住人5男(声) こらあーっ、黒ひめーっ。うるせーっ、眠れねーぞっ、ぶっ殺すぞー。

横島(声) このように、朝の柏木町五丁目の隅々に、苛立った男の声が、クリアに響き渡ったこともありましたよ。

 

暗転

 

横島 さて、次なる住人の紹介ということだが、順番がむずかしい。多くの住人に知られ、かつ、住人に値する存在に順位をつけるとなれば……野良の猫たちか、虫たちかということになる。野良猫は三毛もいれば黒もいる。左の後ろ足が使えないのもいる。だが、外でサンマを焼くこともなくなったから野良猫を気にする住人は少ない。ま、春の恋の季節には、あの異様な鳴き声に悩まされることもあるが、それも一時のことだ。ゆったりと塀の上を歩いていても庭の日当たりのいいところで昼寝をしていても、街の風景に溶け込んでしまって住人としてのインパクトが今一つだ。その点、虫は一匹一匹に名前をつけられない難はあるが、住人の気持ちを掻きむしるような存在感がある。ここは、一つ、柏木町五丁目の虫たちを紹介することにしたい。え、そこの野次馬さん、「なぜ人間を先に取り上げないのか、差別じゃないか」とおっしゃいましたか? 誓って申し上げるが私(わたし)的には差別は一切していない。住人の認知度で順位をつけているだけだから。人間以外の動物を住人の範疇に含めるのは非常識、逆差別だとおっしゃりたいのかな。だとすれば私の良心とは相容れないと申し上げるほかはない。独断偏見の謗りははじめから覚悟の上ですぞ。

話を進行させます。柏木町五丁目は、庭付きの家が多く、草ぼうぼうの空き地もあって、虫けらは、殺虫剤を撒きまくっている田舎よりいっぱいだ。それが家の中まで入ってくるから人間を刺激し強烈に存在を印象付けることになる。つまり、住人として認知されるわけだ。

人間への差別ではないかとクレームがついたから、人間に虫けらを語らせて批判をかわすことにする。まずは、柏木町五丁目の数少ない知識人、自称小説家の田渕氏の登場だ。田渕氏が中学二年の娘を前に大関松三郎の詩を読み聞かせている。

 

短い暗転

 

田渕氏 虫けら 一くわ/どしんとおろして ひっくりかえした土の中から/もぞもぞと いろんな虫けらがでてくる/土の中にかくれて/あんきにくらしていた虫けらが/おれの一くわで おおさわぎだ/おまえは くそ虫といわれ/おまえは みみずといわれ/おまえは へっこき虫といわれ/おまえは げじげじといわれ/おまえは ありごといわれ/おまえらは 虫けらといわれ/おれは 人間といわれ/おれは 百姓といわれ/おれは くわをもって 土をたがやさねばならん/おれは おまえたちのうちをこわさねばならん/おれは おまえたちの大将でもないし、敵でもないが/おれは おまえたちを けちらかしたり ころしたりする/おれは こまった/おれは くわをたてて考える/ /だが虫けらよ/やっぱりおれは土をたがやかさんばならんでや/おまえらをけちらかしていかんばならんでやなあ/虫けらや 虫けらや

 意味、解んない。なんか大昔みたい。

田渕氏 確かにパパが生れる前の詩だけど。

娘 はあ? それで何いいたいの?

田渕氏 つまりだな、虫けらも一生懸命生きてるってことだ。

娘 だからって虫と仲良くしなくちゃいけないわけ?

田渕氏 そうは言ってない。つまりだな、虫といえども簡単に殺してはいかんと……

 ギャー!

田渕氏 ど、ど、どうした!

 で、出た! そ、そ、そこ……

田渕氏 わーっ!

 イヤーッ! 殺して! 殺して!

田渕氏 い、いやあー、いまの、いまのは俊敏だった。消えた……。

 なんなの、なんなのあいつ。毛虫? めちゃ、すばしっこい。うー気持ちわりー。何とかして。殺して。家に入れないで。

田渕氏 いや、毛虫じゃない。毛虫は蛾や蝶の幼虫だが……、形状と動きからいって、ゲジゲジだろう。ゲジゲジは通称で、正しくはゲジ、益虫なんだぞ。

 (田渕氏を睨んで)エキチューってなに?

田渕氏 人間に害を加えない、人間に役立つ虫だってことだ。

 だから?

田渕氏 ゲジゲジは夜行性の肉食動物。

 寝ているとき襲われるってことじゃない。

田渕氏 人間を襲わない。害虫を狩る。ゲジが益虫たる由縁だ。あのすばやい動きは狩りに必要な能力だ。ゲジゲジは狩りのため三十センチもジャンプするというぞ。

 何でもいいからさ、家に入れないでよ!

田渕氏 人間を狙って家に入ったのではない。獲物の虫を探して家に迷い込んでしまったのだ。ゲジゲジも困っている。

娘 ね、ね、あのもじゃもじゃ毛虫みたいなやつを好きになれっていうの。ウソでしょう。あたし、家に帰んないからね。

田渕氏 いやいや、ゲジゲジはあまりにも人間の形状とかけ離れている。お前が嫌がるのも理解できる。駆除することにしよう。

 学校のおじいちゃん先生みたい。とぼけたこと言っちゃって……。

 

 短い暗転

 

横島 娘に家に帰らないと言われては田渕氏もかなわない。次の日ドラッグストアから五種類の薬剤を購入した。ゲジを撃退するには、まず、ゲジが獲物とする虫を除去しなければならないと、ワラジムシ用の粉噴霧式殺虫剤、各種のクモに対処するスプレー式殺虫剤、虫一般に効くスプレー式殺虫剤、捕獲式殺虫剤。それにゲジの進入を妨害するスプレー式忌避剤などである。ゲジ益虫説を力説した田渕氏が、撃退するとなると、この念の入れようだ。柏木町五丁目は、詩「虫けら」に登場する虫たちを一通り揃えた上に、大小のクモなどが棲家としているわけだから仕方がないともいえる。

その後、自称小説家田渕氏は町内会通信のコラム欄に、「大抵の虫たちは人間に危害を加えないのに、人間が勝手に不快害虫と命名し殺傷をほしいままにしている」と書いた。さらに付け加えて柏木町五丁目では蚊が絶滅したことにふれ、「蚊は正真正銘の害虫であるから居なくなるのは結構だが、下水道が完備され土はコンクリートやアスファルトで覆われ、ザリガニやメダカが棲んでいた小川は地下に潜って土管の中を流れている。蚊が棲めなくなったわが町を手放しでは喜べない」と書き、「人間こそ絶滅危惧種ではないか」とまで言っている。「人間こそ絶滅危惧種」なんて着想は陳腐なんだがね、本人は大真面目、大得意だ。私としては、この高邁なお話とゲジ退治の念の入れようとは相当距離があると思うのだが、どんなものだろうか。

 

暗転

やや軽妙な音楽が客席をつつむ―

 

横島 さて、そろそろ人間を紹介しなければなりますまい。町内の人間で認知度の高い住人ということになれば、一番地に住んでいる沢口町内会長だろう。それに町内会長だから、この人物を紹介していれば他の住人たちも絡んできて住人紹介には好都合ということもある。

沢口家のことなら詳しく説明できる。私の親戚筋だからねえ。

まず会長の沢口公平。中学校の校長だった。五年前に定年退職し、三年前に妻に先立たれている。息子たち家族と二世帯同居という形だが、妻が他界してからは息子夫婦の世話になっている。息子は小学校の教員で嫁は専業主婦、中三男子と小六女子の孫がいる。

沢口家の嫁舅関係は最悪だ。最悪といっても、直にぶつかることはない。互いに慇懃に振る舞っている。

ところが、目先の利くこの二人、暗黙の口論を繰り返した結果、今の生活パターンができあがってしまった。

その暗黙の口論とは……。

 

 短い暗転

 

公平 今日の昼は中華ですか。このボリュームと油は負担ですな。

 ま! このお料理、どれだけ手間をかけたかご存知? 気に入らなければおあがりいただかなくて結構です。

公平 私の嗜好は知っているはずだが……。

 毎日、毎日、日替わりですよ。和夫さんも(横島の声で「夫のこと」)匠も(横島の声で「息子のこと」)も美夏も(横島の声で「娘のこと」)学校給食ですから、お昼が私一人なら、朝の残りで十分なんです。お解かり? お父さん一人にどれだけ気を遣うか……。昨日は、お友達からランチのお誘いがあったのにお断りしましたのよ。

公平 そんな、恩着せがましいことを……。

 お昼ごはんのことだけではありませんわ。食事は朝昼晩の三食、一階の(横島の声で「一階は親世代、つまり、今は公平が一人で住んでいる。バス・トイレ・サンルーム付5LDKだ」)掃除、洗濯ぜーんぶですからね。お出かけのときは靴まで磨いてあげてるわ。

公平 もともと、一緒に住みたいと言ったのは君たちではないか。私はね、ローンを組んでこの二世帯住宅を建てた。

 土地も家も権利は全部お父さんですもの。

公平 あたり前だよ。ローンの残りに退職金を半分以上つかったんだよ。君たちから家賃を貰ってもいないしね。

 年金をまるまる使っているではありませんか。食費もこちらもちですからね。

公平 老後をね、ぜんぶ君たちに託すのは不安なんだよ。いつ、邪魔にされるか知れん。いざとなったら金だけが頼りだからね。

 ま! 信用できないとおっしゃるのね。

 

 短い暗転

 

横島 大筋、こんな暗黙の口論が繰り返されて、沢口公平はなるべく昼間外出することにした。町内会長を引き受けることにしたのも公認の外出を増やせるからというのが本音のところだ。会長をやってみて分かったことだが、町内会の役員の半分は嫁に余されて、尊厳を保てる居場所を探している連中だ。

今日も公平は出かけていく。嫁が玄関で見送る。表向きの嫁舅の会話は……

 

 ごく短い暗転

 

公平 今日は、町内会連合の災害対策会でね。

 ご苦労様です。

公平 昼はお弁当が出るから。

 それはお楽しみ。私、お買い物にお出かけさせていただいてよろしいかしら。

公平 行っといで行っといで。何か美味しいものでも食べておいで。

 ありがとうございます。うれしいわ。

 

暗転

 

横島 降って湧いたようなニュースが沢口町内会長を慌てさせている。全国で一〇〇歳以上の高齢者が何人も行方知れずになっているというのだ。住民票が動かなければ、実態とは無関係に住民であり続ける。はっきり言えば、とっくに死んでいるのに、とっくにどこかに行ってしまっているのに届けがなければ、柏木町五丁目の住民でありつづけるわけだ。

 

 短い暗転

 

公平 望月さん、昨年、敬老の日にお祝いを贈ったのは八名でしたね。町内会厚生部長のあなたが担当された……。

望月さん 八名でしたわ。でも、八名の方に直接会ったわけではありません。全部、家族の方に渡しています。八名は、お祝いを受け取る意思があるかアンケートを取ってマルだった方です。要らないと応えた方が5名……。あとは無回答。

公平 八〇歳以上の対象者は六十人くらいでしたね。

望月さん 確か、六十二名でした。市からデーターを特別に見せてもらっています。一〇〇歳以上は、一〇二歳と一〇六歳の二人でした。

公平 その二人に会った人はいるのかね。望月さんは民生委員もやっていましたよね。

望月さん わたしは見ていませんが、ちゃんとしたおウチの家族になっていますから、今、騒ぎになっているようなケースは考えられませんね。

公平 直接、会ってみる必要はないかね。

望月さん しかし、私たち町内会は任意団体ですからね、それは行政の仕事でないかしら。私たちが踏み込むのは危ないですよ。行政の下請けは止めた方がいいと思いますわ。

公平 行政の下請けね。

望月さん 一昨年だったかしら、国勢調査があったでしょう。市から調査委員とか適当な役を貰って戸別訪問したら、「何でお前らに調べられなきゃならん」と怒鳴られ殴られそうになりましたよ。命がけですわ。市に話したら、そういう家は問題ありの可能性が高い、児童虐待、老人虐待、育児放棄、引き籠り…などですって。そんなことチェックするの、町内会のやることでしょうか。

公平 でもねえ、去年、二つも嫌なことが発生したからねえ。結局、事情を聞かれるし、お前たちにも責任があるという顔をされる。

望月さん そうでしたねえ。若い男の自殺……、それから……、コー、コー……なんでしたっけ……。

公平 行旅死亡人。

望月さん そ、コーリョシボーニン

 

 短い暗転

 

横島 気が重いが、筒井純、三十二歳について語ろう。筒井は本来なら住人紹介で私が取り上げる人物ではない。なぜなら、この男を柏木町五丁目で知っていた者は同居の母親しかいなかったから。つまり住人の認知度は限りなくゼロ。典型的な引き籠りだった。

筒井の白骨死体が柏木町五丁目から十キロほど離れた森林で発見されたのは四月五日のことだった。解けた雪の下から出てきたのである。完全に白骨化しており、しかもキツネが喰いちぎって巣に持ち帰ったのか、消失した部位が半分以上だった。したがって、人骨と認定されても、すぐには筒井と知れたわけではない。

骨の他に衣服と思われるものの一部や僅かな残留物があった。警察は骨を含め残留物から身元を特定する作業に入った。氏名や住所を特定できるものは皆無だった。真っ先にチェックされるのは捜索願届だ。筒井の場合、決め手となったのは、バックらしい残留品の中に一つだけ残っていた鍵である。捜索願をもとに虱潰し当たっていった警察が、筒井母子のアパートのドアに鍵を差し込んだところガチャリとシリンダーが機能したのである。あとは事件か自殺かの判断になった。骨に事件を裏付ける痕跡はない。現場に睡眠導入剤の瓶があったことから警察は自殺を推定し母親の証言の裏付けを始める。筒井はうつ病で治療を受けていた。母親にとって女手一つで育てた自慢の息子だった。心身ともに極めて健康で、大学を卒業して東京のIT大手企業に就職し、意気揚々と社会に船出した。ところが、三年も経たないうちにパワハラと周り全部が競争相手の人間関係、超過密な労働で疲れきり、ついに精神を病み仕事を続けられなくなった。母親は憔悴した息子をつれて帰ってきた。

概ねこのような母親の話の裏づけを警察が終えて自殺と断定した。亡骸が母親に戻ったのは四月二十六日だった。亡骸はアパートに戻ったのではない。警察署に安置されていた。母親は警察署で初めて息子の亡骸と対面を許された。アパートで動けば近所に感づかれ、母親が奇異な目で見られるかもしれないということを考慮して隠密に事は行われたのである。母親は柩の中の息子を直には見なかった。母親が直視できる状態ではないと警察から言われたからだ。遺体は、即日、火葬場に運ばれ荼毘にされた。骨箱に入った骨は、箱の半分もなかった。

 

 短い暗転

 

公平 私と望月さんは役柄で知ったことで。

望月さん そう。警察も自殺と断定するには書類を整えなければいけないんですわ、きっと。同じアパートの住人に聴取したら風評被害で母親に迷惑をかける、といったところを心配したのでは……

公平 それで無難な町内会長と民生委員に形ばかりの聞き取りをしたわけですな。私は、もう公務員じゃないし守秘義務はないからね、一応、口止めみたいなことを言われましたね。

望月さん ですから、事情聴取されたこと、会長の他、誰とも話していませんわ。

公平 私なんか、筒井さんのお母さんの顔も知りません。私のにらんだところ、町内にはざっと三〇人くらいはいますな、引き籠りの若者が…。それに同じくらいの一人暮らしの高齢者…。

 

暗転

 

横島 行旅死亡人の事件は、十一番地のあけぼの荘で起きた。八号室の大学生姉妹が警察署に通報電話を入れる。

 

ごく短い暗転

 

警察(声) ○○警察署です。

近藤早苗 へんな匂いがするんですが……。

警察(声) 落ち着いてください。

近藤早苗 落ち着いていますよ、あたし。

警察(声) あ、そう。で、どんな匂いですか?

近藤早苗 どんなって……いやな匂いです。腐ったような匂いです。あ、ガスの匂いと似ていますけど……、ちょっと違います。

警察(声) いつからですか。

近藤早苗 だいぶ前からです。だんだんひどくなります。

警察 どこで匂っているか、わかりますか。

近藤早苗 たぶん隣の部屋だと思います。

警察(声) 隣?

近藤早苗 マンションの隣の部屋……。

警察(声) ああ、マンションの隣の部屋。その部屋に誰か住んでいますか?

近藤早苗 たぶん住んいでると思うけど……。

警察(声) 知っている人? 匂いのことは確かめましたか。

近藤早苗 そんなことできたら電話なんかしないわよ!

 

 暗転

 

横島 「あけぼの荘」七号室から死後一か月は経過したと思われる死体が発見された。行旅死亡人として措置され、それから半年ほど経って「官報」に公告が出た。あ、ちなみに官報は(急にえらそうに)独立行政法人国立印刷局が編集・製造するわが日本国の機関紙ですぞ。しかも、日刊紙ですぞ。あー、わたしが威張ってどうする。いや、国民はインターネットでも閲覧できる。なんといっても国民は主権者ですからな。待て、国民でなくてもインターネットなら世界中どこででも、誰でも見られるか……

 

スクリーンに「官報」平成第五七××号一頁目。題字「官報」の文字のみ鮮明―

 

横島 えへん。「あけぼの荘」行旅死亡人の係わる官報の公告は以下の通りである。

(重々しく) 本籍不詳、住所は札幌市○○区柏木町五丁目十一番地あけぼの荘七号室、氏名、年齢不詳(自称河田治六三歳位)の男性、身長一六二センチ、体格普通、着衣は白色長袖シャツ、黒無地パジャマズボン、柄パンツ、靴下、遺留金品は現金六二〇円のみ。

上記の者は、平成二十三年五月十日午前十時二十三分、前記住所地にて死亡しているところを発見されました。死亡日時は平成二十三年四月五日頃、死亡場所は前記発見場所と同じ、死因は肝硬変です。

遺体は火葬に付し、遺骨は愛之丘霊園にて保管しています。お心当たりの方は、当市福祉局生活福祉部保健課まで申し出て下さい。

平成二十三年十一月十三日

北海道 札幌市長 △△□□

 

 暗転

 やや重々しい音楽が客席をつつむ―

 

以後は仮の台本。ここからはアドリブを歓迎・優先して―

 

横島 (客席に向って)おや、野次馬さん、またクレームかな。なんと、行旅死亡人は本籍、住所不詳なのであるから柏木町五丁目の住人ではないと? 住人として紹介するのは不当だとおっしゃるのか。それはいただけませんな。それは、差別というものですぞ。

観客1男(声)なんで自殺した奴とか旅行死亡人とか、そんなのばっか、紹介するんだよ!

横島 旅行死亡人ではない。行旅死亡人。正確に。

観客2男(声) 混ぜ返すな! 柏木町五丁目の者はな、たいていな、真面目に働いるんだい。

観客3女(声)そうだよ。引き籠り引き籠りって言うけどね。働きたくても仕事がないじゃあないか。やっと仕事にありついたら、こき使われてピンはねされて、ぼろぼろされてポイだよ。

観客4女(声) そうよ。悪がきもいるけど、子供らは夢を追ってがんばっているわよ。

 

スクリーンに「郵便配達人と少女」―郵便配達用バイクから降りた配達人に少女が貯金箱を手渡そうとしている。苦笑いする郵便配達人―

 

観客5女(声) ほら、あの子はね、今度の東日本大震災の被害者に届けてくださいって、配達人に貯金箱を渡そうとしている。配達人は困っているが、うれしそうだ……

 

観客6男(声) ほら、一家団欒の笑い声が聞こえてくるじゃない。

横島 あ、それは分かっている。けれど、あの白骨の筒井さんも夢を持った時があった。真面目に働いたときがあった。リョコー……もとい! 行旅死亡人さんも一家団欒の時があった、と思われるのです。

観客7女(声) なに言ってるのよ、大根役者!

観客8男(声) 引っ込め!

 

 横島、スポットの光の外、闇へ

 

やがてスポットライトも消え全てが暗黒につつまれる―

 

騒がしい足音―

 

飛び交う怒声―

 

ドアが閉る大きな音―

 

暗闇の中で幕が下りる

 

カーテンコールに応じてはならない

カーテンコールに応じてはならない