おれはおれ
豊村 一矢
1
おれ、5年生。二月になって、雪がいっぱい積もっている町にやってきた。母ちゃんと父ちゃんとおれの三人だ。
転入学の初日。今度の先生がおじいちゃんで、頭がみごとにはげているのをのぞけば、いつもの景色だ。おれはテレているし、先生は気を使って親切だし、クラスの連中も、きょう味しんしんでおれを見ている。
いつもと同じで、一応、ほっとする。
おれ、勉強、ほとんどダメ。算数だけはなみ以上かな。音楽と体育は恥をかくためにあるようなもんだ。きょう味しんしんだった友達も、実態が明らかになると、ほとんどがおれのそばに来なくなる。ちょっとだけ、お仲間ですという顔をする者や教えたがり屋もいたりする。
転入のすぐ後は、友達がアパートのおれんちに遊びに押し寄せるが、二、三日するとピタっと来なくなる。1、2年生のころは、そのわけがわからなくてさみしかった。
今なら、わかる。おれんちには、家具らしいものはほとんどない。遊ぶ物もないし、それに、父ちゃんが、部屋でゴロゴロしているもんな。
友達が来なくなっても、このごろは何てことはない。予定通りって感じだ。
それに、友達って、いやじゃないけど、仲良くなりすぎると面倒くさい。
転入して二、三日すると、変わることが他にもある。もともと親切だった先生が、もっと親切で気を使ってくれるようになるってこと。しかも、急にさ。今度の転校でも同じだった。
なぜ、二、三日したら、先生が、急にもっとやさしくなるのか。これも、このごろになってわけがわかった。
転入の時って、普通、(おれがその学校でどんなだったか)を書いたプリントを、前の学校からもらって持ってくるものらしい。だけど、おれも母ちゃんも、そんなもの持って転入したことない。
前の学校で、友達が転校したことがあった。
転校生を見送るのは初めてだった。クラスでお別
れ会というのをやって、ソイツもあいさつなんかし
ていた。
こういう転校もあるのかとおどろきだった。
おれの場合、学校からも、住んでいた部屋からも、突然いなくなる。知らない町にうつって部屋を借り、近くの学校に入る。それが転校だと、ずうっと思っていた。
プリントが何もないから、先生は前の学校に電話でおれのこと聴くらしい。
その後だ。先生が、急に、もっと親切で気を使ってくれるようになるのは。
だけど……、なぜだ?
おれ、学校にいくようになって何回転校したか数えられないし、数えようと思ったこともない。おれの転校のし方は普通でないらしい。わかったのは近ごろだ。
とにかく、学校に入ったから給食が食える。うれしい。
2
三月に近い二月。
今日は授業参観日だ。五時間目。母ちゃんたちが教室の後ろで見ている。五、六人くらいか。おれの母ちゃんもいる。母ちゃんの服、古くさくてヨレてるな。
近ごろ、そんなことも気づくようになった。
先生が質問する。おれが手を挙げるはずがない。先生は手を挙げていない人にもあてるが、おれにはあてない。前はそれで安心だった。近ごろは、それでイライラすることがある。あてられたら答えられないくせに。
授業が終った。おれたちは下校だ。母ちゃんを見た。母ちゃんがおれに向かって、声を出さないで口だけパクパク動かしている。(母ちゃんは残るから、先に帰ってな)という意味だ。
教室を出る時、他の母ちゃんが、「今日は学級PTAの委員決めがあるから、こんなに出席者が少ないのよ」といっているのが聞こえた。
母ちゃんはきっと委員に立候補するな。今まで、チャンスがあれば、母ちゃんは必ずそうしていた。
思った通りだ。母ちゃんが得意顔で帰ってきた。
母ちゃんは、四月から、つまり、おれが6年生になった時からPTAの学級代表をやるらしい。立候補なんか一人もいなくて、学級委員は四人なのに三人しか決まらない。母ちゃんは立候補したから、なり手のない代表になっちまった、ということらしい。
委員になると思ってたけど、代表とはね。母ちゃんは満足そうだけど、何かヘンな気もする。
その日の夜、母ちゃんは、そうとう気分が良かったのだと思う。晩飯の弁当を買いにコンビニにいくのは、いつも通りおれだけど、缶ビールと酒のワンカップも頼まれた。
ワンカップは父ちゃん用だ。ずうっと寝そべったまま、ポータブルテレビから目を離さなかった父ちゃんが、ワンカップの一言で、ひじ枕をしたまま振り向き、ニッと笑った。
3
今日、学校を休んだ。
フトーコーとか、ズル休みじゃない。新しい町に来ると、必ず四、五日たって病院と市役所にいく。なぜだか、おれにはわからない。わかりたくもない。
今日が、その日だった。
母ちゃんは、ちょっと緊張している。おれは給食を食えないのが気になるくらいで、どうってことはない。
それに、母ちゃんが考えてやっていることだから、おれがイヤだといったところで、どうなるものでもない。父ちゃんは、ダルそうだ。外に出るのがきらいだからな。
まず病院にいった。
病院で、おれのすることは簡単だ。だまっていればいいのさ。おれは、コーゲンビョウとかいう病気持ちだ。母ちゃんが、病気のことを医者にしゃべりまくっている間、おれはおとなしく下を向いている。
医者が質問しても困らない。母ちゃんが全部、すばやく代わりに答えるから。でも、今日は、少し、ドキドキした。おれがコーゲンビョウっていうのはウソではないか、ちょっと、そう思い始めていたところだから。
だって、母ちゃんが医者にいっているようなズツーだのカンセツツウだの、ケンタイカンだの、何のことだかわからないし、おれ、元気だも。
おれがすんだ後、母ちゃんと父ちゃんも診察室に入る。おれは、待合室でボーっと待っている。母ちゃんや父ちゃんは、どこが悪いんだろう。きっと仮病ってヤツだぜ。
父ちゃんは、一日中、家でゴロゴロしているけれど、病気には見えない。
1年生になったばっかりのころだったな。(リストラ
前の父ちゃんは、大きな会社のエリートだった)と母ち
ゃんがいったことがある。
おれ、意味がわからなかった。今のような父ちゃ
んしか、見たことなかったから。会社のエリートて、
どんな寝っ転がり方するんだろうって、マジに考え
ていた。
母ちゃんと父ちゃんが診察室から出てきて、三人は書類のできあがるのを待つ。ハラ、へったな。
ずいぶん待たされてから、母ちゃんが書類を受け取って病院を出た。
次に向かったのは、市役所だ。この町には地下鉄があるので、それに乗った。
電車の中で、乗客がおれをチラチラ見るのが気になる。(土日でもないのに、まっ昼間から学校にいかずに::)そう思っているんだろう。前から、おれ、そんな目で見られていたのかな。気がつかなかった‥‥。
市役所につくと、父ちゃんは中に入らない。母ちゃんが、今度は少し離れた喫茶店で待てと、父ちゃんにいった。
前の町でいやなことがあった。
市役所を出て、外で待っている父ちゃんと一緒に
なったとたん、「ご主人、元気そうじゃないですか。ホ
ントに病気なんですか」と後ろから声がした。振り向
くと市の職員がへらへら笑っている。わざわざ、母ちゃ
んのあとをつけてきたんだ。
いやらしい目だった。思い出しただけでふるえがく
る。おれ、こんなの初めてだ。
母ちゃんは、「病気のこと、み、見ただけで、わかる
もんですか」とドギマギしている。すると、その職員は
「さきほど、ご主人は家で寝ているといいましたよ」と
いった。三人は、逃げるように市役所を離れたっけ。
(なんで逃げなきゃなんないんだよ…)。何が何だか
わからなかったけれど、おれ、怖かった。
その町には、二か月もいなかった。
父ちゃんを喫茶店に置いて、おれと母ちゃんは市役所に入った。
混んでいた。「案内」と書かれたところに、若いねえちゃんが座っている。やさしそうだ。母ちゃんが、(ホゴカはどこですか)と聞いた。
ねえちゃんの目がちょっと冷たくなった…、気のせいかな。
言われた通りに、エスカレーターで二階に上がった。広い部屋が、つい立てで仕切られている。係りごとにわかれているんだ。はしっこに長いすが置いてある。
母ちゃんは、おれに「そのいすに座って待っていろ」といってから、二つのカウンターの前を通りすぎて、三つ目で止まった。
そのカウンターに他の客はいなかった。母ちゃんがしゃべりながら、書類を取り出している。さっき、病院でもらったのもあるのだろう。ちょっと太ったおばさんの職員が立ち上がった。母ちゃんから書類を受け取って目を通し始めた。
二人の頭の上に、天井からパネルがぶら下がっている。
保護課
ホゴカというのは、ああいう字なのか……。
4
おれ、6年生になった。クラスは同じ。担任もおじいちゃん先生。
母ちゃんは、PTAの学級代表で張り切っている。会議とか集会とか打ち合わせとかで、ほとんど毎日、学校に来る。おれ、学校から帰る時、PTA室による。そして、母ちゃんと一緒に帰るんだ。
おれ、母ちゃんにくっついていたいわけじゃない。母ちゃんがそうしろっていうから。おれだってウザイって少しは思うけど…。それより、PTA室で待っている間、他の母ちゃんがやさしそうに声をかけてくるのがうっとうしい。一応、オレでなくボクでいなくちゃならないから、おれがおれでなくなってキモイ。
五月の連休が終った。学校が休みだと給食が食えなくて、ちょっとつらい。
帰る前に職員室に来い、と先生によばれた。先生は封筒を出して母ちゃんに渡せという。おれ、手にとって表と裏を見た。国語、苦手だけど読めた。
表は、学校を住所にして母ちゃんあてになっている。裏は、前の学校のPTAからだ。おれ、わけもなく、胸が一回だけドキンと鳴った。
なんか、普通でないよな、わざわざ職員室で封筒もらうの。たいてい教室で渡すよな。先生がPTA室で母ちゃんに渡したっていいじゃないか。
おれは、その足でPTA室にいった。用事がすんだあとらしく、四、五人がおしゃべりしていた。母ちゃんもいた。
母ちゃんには、そこで渡さず、学校の玄関で渡した。
母ちゃんは、すばやく差し出し人を確かめたが、すぐポケットにねじ込んでしまった。おれ、まったく無関心って顔してそっぽを向いていた。だけど、おれの胸、ドキン、ドキンと二回鳴った。
この町とも、きっと、もう少しだ。勝手にドキンドキンする。なぜだ?いつものことなのに。
アパートのドアをあけると、玄関に封筒が落ちていた。それを見て母ちゃんがチッと舌打ちした。
父ちゃんがポータブルテレビから目を離さずに「おかえり」といった。おれも母ちゃんも返事をしない。いつも、そうだ。ところが、今日は父ちゃんが言葉をつづけて、「電気、止めるってよ」といった。
はっきりした。この町は、あと二、三日だ。そう思っても、今度はドキンと来なかった。さっきのは何だったんだ。
コンビニで弁当を買って帰ると、母ちゃんは出かけていた。父ちゃんはテレビ。部屋のすみに、ビニルの買い物袋が口をあけて置いてある。おれんちのクズかごだ。
おれは、袋に押し込まれている手紙を取り出した。一つの手紙は、漢字が多くてほとんど読めない。でも、アパートの部屋代を払わないなら出て行け、ということを書いてあることはわかった。
もう一つはさっきのだ。前の学校のPTAからで、意味はわかる。母ちゃんが学校から突然いなくなって困ったこと、委員として母ちゃんが預かっていた金を返してくれ、ということが書いてあった。おれ、やべ~っと思った。でも、ドキンとしなかった。ドキンとしてもいいのに。
テレビが父ちゃんの背中の向こうで小さく鳴っている。袋に手紙をもどす音が、やたら大きく感じた。
次の日の朝、母ちゃんが、学校から帰る時、自分の物を全部持ってこい、といった。おれは、かばんをほとんど空にして出かけた。
その日も、母ちゃんはPTAで学校にいった。だから、おれも、帰る時、PTA室による。やはり、四、五人の母ちゃんたちがいた。紙袋にプリントを入れるような仕事をしていた。
この部屋に、もう来ることはない。母ちゃんは何もいわないけれど、おれはわかっている。
突然、おれたちが消えて、この母ちゃんたち、どんな顔をするだろう。何回も何回も経験したようなことなのに、初めて他人がどう思うか考えてしまった……。
ちゃんと、あいさつくらいしていきなさいよね。
なんで、学級代表なんか引き受けたの?無責任よ。
お金、返してよ。
いい根性しているわね。
ひきょう者。
うそつき。
ペテン師。
子どもがかわいそうね。
ちょい、タンマ。子どもっておれのこと? かわいそうって、おれが?
なんで、おれがかわいそうなんだよ。ウザケンナよ。テメエと違うのはフコーなのかよ。
肩をつつかれた。「なに怖い顔してんだ。帰るよ」と母ちゃんが笑っている。おれはボクになって、残っている母ちゃんたちにあいさつした。さようなら::。
5
朝、母ちゃんは公衆電話から、おれが今日休むと学校に伝えた。
荷物は、一人二つの大きなバックにおさまる。父ちゃんなんかポータブルテレビを突っ込むだけで準備完了。
アパートには、この町で買った折りたたみ式のテーブルなどガラクタを残した。
母ちゃんは、保護課のおばさんがうまくやってくれれば、この町にもっといれたのに、とボヤいた。
夜の汽車に乗った。町の灯りが少なくなり、遠ざかっていく。
この町は、三か月だったか……。
おれ、眠くなった。