D男先生がみた夢
豊 村 一 矢
一、前書き
二〇〇三年六月十日午前八時五〇分。
にっぽん。
A県B市立C小学校。四年二組。
いつものさわがしさ。
朝からやっかいな問題が持ちこまれて、担任のD男先生は少々ゆううつである。
受け持ちの蜜流と詩園が登校途中、子ネコをひろってきて学校で飼ってくれと言い出したのである。子ネコといっても、走りまわれるくらいの大きさだ。
蜜流はミツル、詩園はシオンと読み、女子である。シオンの方は朝鮮語の読み方らしい。 だいたい、この二人がからむとめんどうなことになることが多い。
さらに、 生き物がからむと、それだけでやっかいだ。
へタに扱うと、命の大切さや思いやりなどを否定する問題教師にされてしまう。そんなわけで、D男先生は、朝から少々ゆううつなのである。
前書きが長くなってしまった。以下は、D男先生が蜜流と詩園にはもちろん、四年二組の児童諸君に、一時間目の授業の十分ほどをギセイにして、子ネコを飼うことをあきらめさせるために話した経験談である。
二、D男先生の話
わたしは、たしか十才だったと思う。へンな夢をみたんだ。夢の中でのわたしは、動物の言葉を理解できた。登場してくる動物は、三世代が一緒にくらしているネコたちだ。わたしの家族がすんでいたアパートの二階からとなりの庭がよく見えた。三世代のネコたちは、その庭でよく見かけたものだ。抱いてやったり餌をやったりしたことがあるわけではない。季節になると奇妙な声でなきあうのがうるさくて、石でもぶつけてやりたくなったくらいだからね。
ふだん気にもしていないのに、どうしてあの三世代ネコの夢をみたのかわからない。でも、あの夢のことはよくおぼえている。
あっ、ネコに名がついているけど、これは話をわかりやすくするために、わたしが適当につけたものだから……。それでは、はじめるよ。
庭のちょっと小高いところは、ところどころ芝などがはげていて、そこに砂がたまる。天気の良い日は、ネコの昼寝の一等地だ。今日も,ネコのウメばあさんがお昼寝中。
孫のミツのきげんがわるい。めずらしいことではない。何やらブツブツ言っている。
ウメばあさんは、耳を、ちょっとだけ動かして、むねの中でつぶやいた。
《かあさんは、いないのかね……》
ミツは、キーキーといらだった声をあげだした。ウメばあさんは、もう耳も動かさない。
《いやだよ、あの娘。あたしが話しかけるのをまっているんだよ。自分で声をかけてくればいいのにさ。かあさんは、まだかね……》
ミツの声が、かなきり声になってきた。
《そりゃ、あたしだって孫はかわいいさ。ちいさいときは、とくにね。おなかをすかせているんだ、あの娘は。人間のご主人さまからのお食事じゃ、たりないからね。おや、かあさんが帰ってきたようだよ。》
「ハラ、すいたようっ」
ミツは、アキかあさんの顔を見ると、かなきり声からあまえた泣き声に急変し、乳をほしがってオッパイをさがしだした。
「ごめんネ、ごめんネ」
あやまりながら、アキはオッパイをミツにくわえさせた。
ウメばあさんは、うっすらと片目をあけた。
《何だい、あれは。ミツはもう子を産めるトシだよ。乳だって出るはずがない。……ハルオがいてくれたらねえ》
ウメばあさんは、息子のハルオのことを思った。アキの夫、ミツたちの父親のことである。何が理由やら原因やら、ミツたちが産まれてまもなく姿が消えた。
《おっと、妹のシオが帰ってきた。こりゃあ、ただじゃすまないよ》
「姉のくせに、あまえるんじゃねえ!」
アキのオッパイにしがみついているミツを見ると、シオは毛をさかだてた。
「うるせえ!お前が、アサメシ、ごっぽりくって、ウチのがたりなかったんだよ!ハラ、すいてんだよ!」
ミツも反撃だ。アキは、オロオロしている。
ウメばあさんは、両目をあけた。もう、寝たふりは通用しない。大変なさわぎだもの。
《やだ、やだ。また、はじまったよ。美しいネコ言葉は、どこにいっちまったんだい。この姉妹、ホントに仲がわるいのか、じゃれあってるのか……》
「ちょっと、昼寝のじゃま、しないでおくれ」
ウメばあさんは首だけあげて、わざとだるそうに口をはさんだ。
「だって、シオのやつが……!」
と、ミツがわめけば、
「なーにいってんの!そっちが先だろ!」
と、シオが言い返し、ますますさわぎは大きくなる。
アキの方は、ウメばあさんが入ってくると、顔がかわる。
「おかあさん、すみません。さわがしくして」
ウメばあさんには、よそゆきの、きりっとした言い方だ。
《口出しするんじゃなかったよ。こうなること、わかってたのにさ。ま、孫の二人は、悪態ついてこないね。あたしゃ、いたわられているのかね……。アキさんは、何なの。言葉はていねいだけれど、あたしに口出すなって言ってるんだね、ありゃ》
「わたしがわるいんです。ミツのおなかがすいているのに気づかなくて」
アキが子どもをかばうと、
「そう、そう。お前がわるいんだよ」
と、シオが母親にむかって言う。
「そうだよ。ウチ、ハラすいてんだよ。なんとかしろよ」
あまえていたミツまでも、アキをせめはじめる。
「ハイハイ、わかりました。ちょっと、まっててね」
アキは、ミツとシオには自分が家来のようにふるまう。
「ウチのもね」
と言うシオの声を背中にうけながら、アキは食べ物をさがしにでかけていった。
《ふん。どうやって食べ物みつけるの。よそさまのキャットフードをシッケイしてくるのかい?情けないね。ご主人さまがくださった食事を上手にわければいいのにさ》
「夜までまてないのかね」
アキがいなくなって、ウメばあさんは、孫たちに言ってみた。
「まてないよ。ハラぺこだもん」
と、ミツだったか、シオだったか。
ミツにしろシオにしろ、母親にむかうときにくらべて、ウメばあさんには言葉がやわらかい。でも、話を聞き入れるわけでもない。
「ハラぺこだったら、自分で食べ物をつかまえなくちゃ。ばあちゃんの若いころは、みんなそうしていたよ。それが、ネコってもんだ」
「つかまえる?食べ物を?なに、それ。食べ物って逃げたっけ」
「ネズミだとか、スズメだとかさ。つかまえて食べるのはシンセンでおいしいんだよ」
「ネズミ!大っきらい。あの目がこわいよ。こっちがくわれっちゃうよ」
《これだものねえ、世も末だよ。》
「ネコというのはね、ずうっと昔から、狩りをしていきてきたんだよ」
「けど、ばあちゃんだってさ、ご主人さまのキャッ
トフードじゃん。カリなんていったって、わかんねえよ」
《あたしゃあ、としよりだも……。この子らと、おしゃべりは、もう、やめ!やめ!かならず気分わるくなるんだから……》
「ね。よそのキャットフード、取ってくるのもカリなの?」
シオがたたみかけてくる。
ウメばあさんは、ちょっとこまった。
《この子ら、本気できいてんの?それとも、あたしをからかってるの?》
「狩りにはちがいないがね。情けない狩りさ」
ウメばあさんは、そう言うと、孫たちが何か話すのをさえぎるように、背中をまるめて目を閉じた。
《ハルオが、よくいってたね。狩りのできないネコはネコではないってね。狩りを忘れたネコの未来が心配だ……とか》
初夏のあたたかな日差しをうけて、ウメばあさんは、すぐウトウトしはじめる。
《あたしのかあさんはやさしかった。狩りがとくいで、子どものころ、いろいろ食べさせてくれたよ。狩りのしかたもおしえてくれたっけ。眠るときには、子守唄……
唄をわすれたカナリヤは
うしろの山にすてましょか
いえ いえ それはなりませぬ
唄をわすれたカナリヤは
やなぎのむちでぶちましょか
いえ いえ それはかわいそう
唄をわすれたカナリヤは
ぞうげのふねに 銀のかい
月夜の海に うかべれば
わすれた唄を 思い出す 》
「このどろぼうネコ!」
人間の大声とけたたましい物音で、ウメばあさんは、跳ねおきた。
すぐに、アキの低く短い声がきこえた。それは、ウメばあさんが聞いたこともない、怒りと恐怖のつまった唸り声だった。
そこで、わたしは、夢からさめたのさ。
三、後書き
D男先生は、経験談の後につけくわえた。
「この夢をみたあと、わたしはネコの姿を見ていない。つまり、となりの庭からネコたちが消えっちまったというわけさ。これは、夢ではなく事実だ。もしかすると本当は、ネコが消えたあとに夢をみたのかもしれないけれど……。なんてたって、昔のことだからね」
蜜流と詩園がひろってきた子ネコはどうなったのか、だって?
学校でネコは飼えない。D男先生は、教頭先生にお願いして子ネコのひきとり手をさがしてもらうことになったと,四年二組の児童諸君に説明した。
蜜流と詩園は、D男先生の話を理解できたのか、だって?
さあ、どうだろう。D男先生だって、学校でネコを飼えないわけを、くどくど話すつもりもない。ま、ネコの話をしてもっともらしい時間をつくった、というだけのことさ。その方が、子どもは納得した気分になることが多いし、自分も安全だとD男先生は思っている。
蜜流と詩園は、
「ミツって蜜流、シオって詩園のこと?」
なんて、真顔できいていたっけ。D男先生は、アハハと、とぼけた笑い声をたてていた。
蜜流も詩園も、昼ころには子ネコのことなんか、すっかりわすれていたよ。
二〇〇三年六月十日午後一時五分。
にっぽん。
A県B市立C小学校。四年二組。
みんな、元気。